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第2章 命綱を取り付ける

第一段階 自認という出発点

 捕えられた君のその状態は、成功追求に走ったこと、又は、名誉や影響力に欲深かったこと、そして性的溺れや麻痺などと関連していると言わざるを得ない。このリストはまだ長いが、次のとおりそれぞれに共通する重要点がある。人は自己中心的に過剰に強調するあらゆる分野によって自身が束縛されるのであり、逆に生きる上での自由を失ってしまう。このようにして君の精神力もまた著しく衰え、君を最終的に盲目にする組織の魔の手が忍び寄ることに君は気づくこともできず、いわば、組織が会員に対し決定する捕虜状態に朦朧(もうろう)としたその状態で自ら合意してしまった、というものである。したがって、このように複雑である責任問題とその有無を追求することも、言い訳を保つことも一切無いように。解放の道を進むなかでそのような自己弁護は何の役にも立たない。そして、何らかの巧みな解決があるという妄想をも葬り、君の深刻な現状と向き合うことが不可欠である。君(助けを求める側・以下「離絶(離れ、関係を絶つ)希望者」という。)が餌食(えじき)となった組織の仕組は迷路のようであり、常に、まだ把握されていない通路や空間、からくりがある。その蟻地獄は、場合によっては何百年にわたり細かく調整、拡大され、何千人もの会員が骨を折った、いかにも厄介なものである。

 この第一段階に関する本気の賛成なくしては、自由への道は開かれない。

第二段階 親友兼同盟者

 人を奴隷にし第三者の支配下に置く仕組みの根は、悪から伸びている。このため、豊富な情報、勇気や実行力だけでは、とてもそのような奴隷状態から抜け出ることはできない。なぜなら、脱出に伴う、時による猛摩擦や霊的沼地による恐怖と麻痺において、実際に唯一の神によって善、真実、正義に据えられた人が親友のかたちで手助けしなければ、その離絶過程を耐え抜くことは不可能である。離絶希望者が親友にその目的を打ち明け、明確に依頼する時、親友は同盟者となる。

 この第二段階の条件たる霊的戦に精通した人物、すなわちこのウェブサイトを通して親友兼同盟者になることを約束する筆者に依頼しない限り、自由への道は開かれない。

第三段階 正義認識と信頼

 何らかの約束や過ちがあるとしても、人の肉体的命を奪うことはいかなる者にも許されていない。これは、霊の世界における人一人ひとりに保障された不変の根本権利である。例え、絶望による自殺願望があるとしても、それもまた、決して正当化されない。命は、人のものではない。

 カルト集団や秘密結社の入会儀式等では必ず、そして常に、偽りの手口が用いられる。それは、組織が自らの正体を何としても隠そうとするためであり、派手な儀式や印象深い言動によって実際に隠匿することはできるであろうが、いかにもこの事実こそにより、入会者の命に関する条件的内容は間違いなく無効と見なされなければならない。この正義認識と親友に対する強固な信頼により、離絶希望者と同盟者とに共同行動の基盤が据えられるのである。

 この第三段階の中心である決断なくしては、自由への道は開かれない。

第四段階 新土台を据える

 日々の生活を圧迫するその威圧からの最終的解放は、誰しもが求めることである。では、そこまで高望みして良いだろうか。それとも、期間が限定された自由しか期待できないのか。何が条件であり、いつまで満たさなければならないのか。

 実に感動的な解放を経験した場合も、新しく得た人生の基礎がその後再び揺るがされる危険性はある。したがって、これを固く阻止するためには上記第一から第三の内容を再確認し、重んずることが不可欠であることを忘れてはならない。これらは解放され誠の自由を得た後にも手放してはならない価値であり、この第四の次の内容も含まれる。

 外部からのねじれ影響があったとしても、人には真実と正義に対する根本認識が与えられている。人はこのように造られているのであり、これは物質主義の現代においても変わることはない。経過した年月と君の放置により錆(さび)と劣化が生じたとしても、この理解こそ要(かなめ)の碇(いかり)である。そして、ここでもう一つ、重き決断を迫られる。

 本気で解放による誠の自由を切望するか。

 その場合、実際に解放による自由を得た後こそ、本人が正義を人生の中心に据え、正義に関する真剣な取組みを続けるのであればその間中、誠の自由が固く保障され、奪われることはない。

 この解釈は重大である。結果的に絶望を招いた捕虜になった当時の生き方は必ず止め、改めなければならない。自らの人生に関し、根本的に舵を切るべき時が来た。真実と正義は永遠の価値である。心と思いをこの不変の価値に向けると、解放された経験に頑丈な基盤が与えられ、もはやその土台が空洞化されることはない。このようにして、誠の自由の人間が誕生する。なぜなら、自己中心的に己の行いたいことを実行することは、自由と見なされない。

 「解放の持続」という大きな約束が、君の絶望に対抗している。

 この道を歩み始めるかどうかは全く、君次第である。強制力はないが、真実の力を避けることはできない。誠の自由への道が他には存在しないことを、筆者はとりわけ強調することができる。君の奴隷状況に関するこれ以外の提案は、それこそまた偽りと騙しである。本気で真実を見出したいのであれば、君は、他人に影響されることなく、このウェブサイトが「解放による誠の自由を得させ、その上で限りなく進むことができる唯一の道の真実」を示すことを君は確信することができる。このことを、筆者は心より、唯一の神に祈り続ける。

第五段階 締め

全文公開
2020年1月27日

       

 

執筆者      阿 南   巌(クマナ イワオ)(旧姓「平元」)

最新情報は「越励学院」より
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